検索語「テスト」の検索結果[598件](19ページ目)
➡ 2018年8月12日(日) 00時31分 〔6年以上前〕 No.449 ✎ !
そろそろ一旦配布したい気もしないでもないんだけども。
ボタンクリックで文字装飾できるようなJavaScriptを追加できるかな……。どれくらい手間が掛かるかはやってみないと分かんないけども。 #ToDo
ああそうだ。画像埋め込み方法の解説を、配布ページに掲載するのを忘れているような気がする。
➡ 2018年6月30日(土) 10時59分 〔6年以上前〕 No.428 ✎ !
➡ 2018年6月29日(金) 01時36分 〔6年以上前〕 No.427 ✎ !
ここでテストさせてもらえてありがたいです。#感謝
➡ 2018年6月9日(土) 15時46分 〔7年以上前〕 No.401 ✎ !
ここが引用部分です。こんな感じで。装飾形態は、スキンのCSS次第で自由にできます。
引用内部で改行もできます。
ついでに、文字を強調してみたり、さらに
➡ 2018年6月8日(金) 17時11分 〔7年以上前〕 No.398 ✎ !
あと、管理画面の「投稿の削除/編集」画面内に、「選択した投稿を削除」ボタンを下端だけでなく上端にも表示させてみましたテスト。 (※まだ新版CGI自体は配布していません)
➡ 2018年6月4日(月) 22時59分 〔7年以上前〕 No.390 ✎ !




※まだこのバージョンのCGIは配布はしていません。そもそも、単に「埋め込める」というだけで、アップロードできるわけではないですし……。その辺はまだ先……。
➡ 2018年5月15日(火) 15時04分 〔7年以上前〕 No.382 ✎ !
そんなんでも良いでしょうかね?
➡ 2018年3月11日(日) 10時56分 〔7年以上前〕 回答/返信 No.354 ✎ !
➡ 2018年2月21日(水) 23時39分 〔7年以上前〕 回答/返信 No.321 ✎ !
➡ 2018年2月14日(水) 16時11分 〔7年以上前〕 No.303 ✎ !
➡ 2018年1月28日(日) 11時45分 〔7年以上前〕 No.257 ✎ !
➡ 2018年1月22日(月) 15時56分 〔7年以上前〕 No.233 ✎ !
(`・ω・´)ノ
(`・ω・´)ノ②
➡ 2018年1月22日(月) 11時08分 〔7年以上前〕 No.232 ✎ !
♡
あ、出た。でも環境によって見えたり見えなかったりするんだろうな。テスト失礼しました。
➡ 2017年12月21日(木) 15時59分 〔7年以上前〕 No.200 ✎ !
いくつでも固定できます。設定は、管理画面の[設定]→[ページの表示]→[先頭に固定表示する投稿]欄で。
➡ 2017年12月3日(日) 23時25分 〔7年以上前〕 No.111 ✎ !
➡ 2017年12月2日(土) 15時53分 〔7年以上前〕 No.107 ✎ !
➡ 2017年12月2日(土) 11時30分 〔7年以上前〕 No.102 ✎ !
明日
豊島与志雄
或る男が、次のようなことを私に打明けた。――
手紙というものは、どんなものでも、そう嫌なのはないけれど、ただ一つ、僕が当惑するのがある。近日ちょっとお伺いしたいのですが、御都合のよい時日を知らせて下さいませんか、云々、といったような手紙だ。殊に、返信用の葉書なんか封入してあると、全くまいる。
先方では、忙しい時に訪問しては失礼だし、仕事中など邪魔してはいけないという、甚だ鄭重な意向であることは、それは分っている。然し僕にしてみれば、如何に忙しい最中でも、いきなり来て貰った方がいい。時日を指定するとなると、手紙では、少くとも中一日くらいの余裕を置かなくてはならない。そしてその時日には、必ず待っていなければならぬ義務が生ずる。そういう義務に縛られることが、僕には苦痛なんだ。それに大抵、そうした時に限って、仕事の予定が狂って、最後のぎりぎりの忙しい場合になっていたり、急に他の用事が出来たり、また、何かしら外出したくなったりするものだ。幾日の何時頃逢いましょうと、そういう予定が立派に立って、そして先方にも無駄足をかけずに済み、こちらでも仕事の邪魔をされずに済み、万事調子よくやっていける人は、実に仕合せだ。
僕の予定は、一日くらいなら立てられる。朝のうち電話ででも打合せておけば、その日中のことなら、立派に約束を守られる。けれども、明日になると、もういけない。明日の負担を負わせられることは、今日の僕にとっては、堪え難いことになる。「今日」というものは、現実的に存在する。然し、予想されたる「明日」というものは、僕にとっては、現実的には存在しない。それはただ架空のものだ。その架空の中に置かれた現実的な義務は、僕には苦痛の種となる……。
まあ大体右のような話だったが、それを話す時の彼は、頬に赤みがさして、内心苛立ってるようだった。その様子を見ながら私は、彼が異常な場合にいることを悟った。つまり、彼にとって、「明日」が凡て架空だというのは、あらゆる「明日」のことを呑みつくすほどの重大な、ただ一つの「明日」が存在するのであって、而もそれが、甚だしく不安定なものだということである。健康の問題か、思想の問題か、恋愛の問題か、金銭の問題か、而もそれがせっぱつまった事柄で、いつ彼の全生活を震撼させるか分らないようなものなのである。
実際、彼は異常なそして危険な場合にいたことが、後で分った。
ところで、そうした危険な場合、大抵は、それは間接的な表現を取る。重大な「明日」の存在が、普通の「明日」の否定を以て表現される。なぜだろう。世間体の故か。一種の体面の故か。或は、直接の表現に堪え得ないような貴重な脆いものがその中に含まっている故か。後になって、そのことを彼に話すと、彼は異様な微笑を浮べて答えた、実生活は文学とは異ると。
それならば、文学ではどうだというのだろう。実際、文学では、普通の「明日」のないような人物や場合が、屡々探求される。それが文学の最も感動的な部分とさえも云える。そしてそれは、どんな風に表現されているだろうか。