2017年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
分かりましたー。そっちでやってみますー。ありがとうございます!
(ここをサポートの場にして良いものか)
ハッシュタグを使って、特定タグのみ複数箇所で表示させる予定。
それと、別設置で別の目的で使う予定。Twitterライクのスキンを使うのが楽しみ。
ありとあらゆる、呟きや覚書やちょっとしたメモや、全部投げておけるのが本当に便利。ハッシュタグ万歳。
> OGPを出力できる機能とかあると良いかもなあ。他のSNSで言及されたときに概要を表示できるように。
> 例えば「1行目はタイトルとみなす」というような設定ができれば、「タイトル付きのブログ」として使えるスキンを用意することもできそうだ。
(・▽)ノシ∩ いいね いいね いいね いいね
(・▽)ノシ∩ いいね いいね いいね いいね
入力欄が1つだけのマイクロブログタイプではあるんだけど、例えば「1行目はタイトルとみなす」というような設定ができれば、「タイトル付きのブログ」として使えるスキンを用意することもできそうだ。 #搭載済
★「いいね」的なボタン機能は、構想には含まれているので将来的には追加したいと思ってはいます。名称はもちろん「いいね」には限らず、個数も1個には限らず、必要なだけいくらでも好きな名称(アイコン)でボタンを追加できるような仕組みにできるといいなあと思っていますが、実装がいつになるかは分かりません。^^; とりあえず、まずは現状の最小限機能でとにかくリリースしてしまいたいです。
★現段階では、確かに下記の通りすがりの方のように、ウェブ拍手とかソーシャルブックマークとかの仕組みを併用するくらいでしょうかね。内側スキンには「PARMALINK」や「投稿No」を挿入する機能がありますから、それを使えば1つの投稿を一意に特定できます。それをうまく使えば連携はできそうな気がします。
通りすがりですが、自分で拍手とか設置して各投稿にそれのリンクが入るようにできるかもしれないですね。でもそれだと何回いいねしてもらえたかは閲覧者には分からない…うむ。
また、英数字以外の文字を使いたい場合は、半角角括弧で囲む必要があります。その代わり、角括弧で囲めば#[Space in Tag]のように空白を含むタグも設定可能です。将来的にはもうちょっと制約を緩和できるようにしたいとは思っているのですが。(^_^;) #[使い方]
※この仕様はアップデートで緩和されました➡No.142をご参照下さい。
明日
豊島与志雄
或る男が、次のようなことを私に打明けた。――
手紙というものは、どんなものでも、そう嫌なのはないけれど、ただ一つ、僕が当惑するのがある。近日ちょっとお伺いしたいのですが、御都合のよい時日を知らせて下さいませんか、云々、といったような手紙だ。殊に、返信用の葉書なんか封入してあると、全くまいる。
先方では、忙しい時に訪問しては失礼だし、仕事中など邪魔してはいけないという、甚だ鄭重な意向であることは、それは分っている。然し僕にしてみれば、如何に忙しい最中でも、いきなり来て貰った方がいい。時日を指定するとなると、手紙では、少くとも中一日くらいの余裕を置かなくてはならない。そしてその時日には、必ず待っていなければならぬ義務が生ずる。そういう義務に縛られることが、僕には苦痛なんだ。それに大抵、そうした時に限って、仕事の予定が狂って、最後のぎりぎりの忙しい場合になっていたり、急に他の用事が出来たり、また、何かしら外出したくなったりするものだ。幾日の何時頃逢いましょうと、そういう予定が立派に立って、そして先方にも無駄足をかけずに済み、こちらでも仕事の邪魔をされずに済み、万事調子よくやっていける人は、実に仕合せだ。
僕の予定は、一日くらいなら立てられる。朝のうち電話ででも打合せておけば、その日中のことなら、立派に約束を守られる。けれども、明日になると、もういけない。明日の負担を負わせられることは、今日の僕にとっては、堪え難いことになる。「今日」というものは、現実的に存在する。然し、予想されたる「明日」というものは、僕にとっては、現実的には存在しない。それはただ架空のものだ。その架空の中に置かれた現実的な義務は、僕には苦痛の種となる……。
まあ大体右のような話だったが、それを話す時の彼は、頬に赤みがさして、内心苛立ってるようだった。その様子を見ながら私は、彼が異常な場合にいることを悟った。つまり、彼にとって、「明日」が凡て架空だというのは、あらゆる「明日」のことを呑みつくすほどの重大な、ただ一つの「明日」が存在するのであって、而もそれが、甚だしく不安定なものだということである。健康の問題か、思想の問題か、恋愛の問題か、金銭の問題か、而もそれがせっぱつまった事柄で、いつ彼の全生活を震撼させるか分らないようなものなのである。
実際、彼は異常なそして危険な場合にいたことが、後で分った。
ところで、そうした危険な場合、大抵は、それは間接的な表現を取る。重大な「明日」の存在が、普通の「明日」の否定を以て表現される。なぜだろう。世間体の故か。一種の体面の故か。或は、直接の表現に堪え得ないような貴重な脆いものがその中に含まっている故か。後になって、そのことを彼に話すと、彼は異様な微笑を浮べて答えた、実生活は文学とは異ると。
それならば、文学ではどうだというのだろう。実際、文学では、普通の「明日」のないような人物や場合が、屡々探求される。それが文学の最も感動的な部分とさえも云える。そしてそれは、どんな風に表現されているだろうか。